ロールモデルはいるのか問題について考える

突然ですが、皆さんは自分のロールモデルとなる人っていますか?

ロールモデルはいるのか?という議論にたまに出くわします。「ロールモデルはいるのか?」には必要なのか?という意味と、存在するのか?という意味が含まれます。

私も社会人になりたての頃は目指す姿がほしくてロールモデルを意識的に探していた時期もありました。その経験から、ロールモデルはいるのか問題について考えてみたいと思います。

ロールモデルは必要なのか?

結論から言えば、個人的には人生の目標や目指す方向性を明確にする上で、ロールモデルはいてもいいと思っています。

「こんな人になりたい」「こんな歳のとり方をしたい」「こんな生き方に憧れる」
そういう風に思える方がいるのであれば、ぜひ自分のロールモデルの一人として意識してみるといいのかなと思います。

というのも、誰もが大なり小なり「こうありたい」といった理想の状態や姿を持っていると思います。その理想を実現するためには、理想の状態や姿を解像度高くイメージすることが必要です。
人間、具体的に想像できることは実現できます。逆にふんわりした絵しか描けない場合は、理想とのギャップがまだ大きいということ。まだふんわりしたイメージしかないなら、理想の状態は具体的にどんな状態なのか、それには何が必要なのかを思いつく限りで書き出してみましょう。

例えば「年に数回は海外旅行にいって、のんびり過ごせるようになりたい」という理想ってかなーりふんわりしていますよね?

年に何回、どれくらいの期間行きたいのか?そのためには例えば仕事で長期休みがとれる必要があるなとか、収入でいえばこれくらいあれば足りるなとか、「のんびり」というのは何があれば満たされるのか?ということを具体的に考えてみるといいのかなと思います。

そしてそれを実行している人をロールモデルとして置いてみると目標への解像度があがります。そういう意味ではロールモデルを設定することはとても有効だと思います。

ロールモデルに囚われすぎると悪影響もある

「ロールモデルはいてもいい」と書きましたが、その心は「ロールモデルに囚われすぎてもいいことはない」ということです。

「あの人のようにならなきゃ」という思考になってしまうと、それが目的化してしまい、そもそも自分がどうありたかったのかを見失ってしまうことにも繋がります。あの人がこうしているから私もこうする、その人が使っているグッズやコスメなどをそのまま使うというように、ロールモデルとした人の真似をするのでは意味がありません。

ロールモデルはあくまで自分の理想の姿の一つの例として、自分自身のありたい姿を実現するためにロールモデルとしている人のどの要素を自分のものにしたいのかを意識するのが良いと思います。

完璧なロールモデルは存在しない

ロールモデルはいてもいいと言いましたが、そもそも自分の思い描く理想にぴったり合う人って存在するのでしょうか?私は「完璧なロールモデルなんていない」と思っています。

誰しも欠点はありますし、持っていることと持っていないことがあります。理想というのは完璧な隙のないイメージを描く場合が多いと思うので、それにピッタリ合致する人というのはいない確率の方が高いですし、探すのに時間をかけても意味がないので「完璧なロールモデルなんていない」と考える方が楽ですね。

ではどうやってロールモデルを設定するのか?

結論としては「複数の部分的なロールモデルの組み合わせで、自分のロールモデルを描く」ということになります。部分的に自分が求めているものを持ち合わせている人は身の回りにも多くいるので、その方々の良い部分を組み合わせて自分なりのロールモデルの姿を作り上げていくイメージです。

例えば、海外で活躍している方など仕事でのロールモデルと、小さいお子さんがいながらも丁寧で優しい暮らしをしている家庭のロールモデルを分けてそれぞれの良いところを意識してみてください。


ロールモデルの人がいると頑張ろう!という気になりますよね。ぜひ様々な人の良いところを取り込んで、理想の姿に近づいていきましょう。

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